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2011年03月 アーカイブ

2011年03月15日

今のあたしにできること

この度の地震の被災者の皆様に心からお見舞い申しあげます。

毎日、心が、、しめつけられます。

何もできないけど、微力だけど、誰でも自分にでもできること、

ということで国民1人1人の気持ちが、今日の実質的な電力料に如実に現れたのは
素晴らしいことだとおもいました。

家にある布団、缶詰、、
個人レベルの支援でも、空から、今、送れたら、、
と、歯がゆさでいっぱいでした。

みんなそうだとおもう。

ただ、
今朝、いつもと同じように職場へ向かった方

向かわせた方

なぜ?ですか?


いのちに関わる仕事なら別です。


「今日仕事いかなきゃなんないし、、」
と混雑する駅でインタビューにキレ気味でこたえていた人がいた。


予測できなかったか?


あなたの仕事は、今日あなたが仕事に向かわないと、今の国難に匹敵する一大事をひきおこしたか?

それならば別ですが。


例えば日当一万のお仕事の方。
一日分の仕事のしわよせ、一万円のリスク、と考えてしまうそのリスクが、
行動の自粛が、義援にかわる
とおもってリスクをおえないか?

企業の決定権をお持ちの方
従業員に冷静な判断をしてください。

明日の業務は国難に匹敵する程重要ですか?

例えば、一億円の仕事の締め切りにおわれてる方

規模の縮小

延期、中止、


ご商売の経営者の方

営業の自粛

売り上げや契約金

そんなところでリスクをおうことも
これも義援になるのではないでしょうか。

仕事も大事、生活も大事ですが、、

今は
みんなが、時間なりお金なりの私利私欲のリスクを追うことは仕方がない

このリスクも義援だ。

とおもってすごせたら、、
と思います。

お金をおくるばかりが義援金ではないと

大なり小なり、リスクをおったとしても、私たちは帰る家がある人達なのだから。

自粛したり節約、節電したり、リスクをおったりもある中で、混乱に対応する気持ち

それも義援金につながるのではないでしょうか。

節電や渋滞緩和につながるのではないですか。

訳あって、
あたしの身体はまだまだ自由がきかない

今のあたしにできること

気持ちを伝えること

久々のブログでした。


2011年03月16日

慎む気持ち


慎む気持ちを


大切にしたい。

そしたら、、、


今の現状の混乱に

不満も感じないはず

今、あたし自身は
毎日同じ時間に薬を飲まないと
腎不全→死
という不安が少なからず
ある身体。

不安を抱えてる身体だから

薬が不足している被災地の病気を抱えた方々の不安、不調、つらさ
を思わずにはいられない。


今、世の中が最優先すべきことが

スムーズにまわりますように、、、

2011年03月30日

帰宅

この度は、わたしの病気の件でたくさんの方々にご心配、ご迷惑おかけしました。


約2か月の入院から、、、
本日、退院。
久々に帰宅しました。

本当にたくさんの、ほんとにほんとにたくさんのやさしい気持ちをいただきました。
ありがとうございます!!!!!!

こんなんじゃ、、、足りない、、、
これから、長い時間をかけて、恩返しさせてください。


そして、やっぱ、、、

家、サイコー!です。


生きがいをもって、世の中にメッセージを!とパワーを発信していたあたしでさえ、いとも簡単に、負のスパイラルにおちていった。

病気とはそんなもの。

実質的な病気で身体が壊れるのとは別に、心の損傷の激しさがこんなにあるのか、ということを知った。

治療すればよくなるんでしょ。
考えすぎ、、大げさじゃない?

とことん病気の原因追求して、、そんなとこもあなたっぽい。
ほっとけばよくなるのに、、

などと、軽視されたこともあった。


病気の人には、絶対に言ってはいけないことがある。

それを確実に感じ、傷ついた。

あたしの病気は免疫力がアホになり、筋肉、皮膚、関節を壊す病気。
膠原病

治療方がわからないという難病でした。

人の身体で、筋肉がないところはほとんどない。
要は全身が痛い。
足の指先の隙間まで筋肉はある。
そこまで、全部痛い。

合併症の肺炎による呼吸困難
肝臓のウイルス感染


身体がちぎれそうな激痛。
痛み止めも効かない。
動けない、、もう、踊れない、という絶望。

指先、顔のただれ、むくみ。
血がにじむ。
塗り薬なんて効かない。
痛くて何もつかめない、、もう、縫えない、という絶望。

何も考えられない。
何も浮かばない。
おもしろいことの一つも言えない。

とりえがない。働けない。

病気はあたしのやりがい、生きがいを奪って、
激痛、絶望にかえていった。


検査の恐怖、病気の不安、人生の不安、呼吸困難、こころない言葉。
「痛い」「苦しい」が脳みその全てを占めると
こんなにもまともにものが考えられないのか。ということを知った。
握力がなくなり、飲み込む力と生きる気力を失った。

入院して、さらに痩せていた。


それに加え

入院2軒目の病院の主治医の適当な対応
誤診。
不信感。


隣りのベッドからは同じ病気の人達のききたくもない会話。
「58で、こんな病気になって、、もう5年
死ぬまでこれで苦しむのかと思うと先行きうんざりだ。
子ども三人、成人させたし、ま、もう思い残すことはないけど、、」

あたしは、まだ子供もいなければ、これからやりたいことも沢山あった。病気を抱えながら生き延びてしまったら、、、ただ苦しいだけだ。


こんなに辛いのに、こんなに痛いのに
生き延びる意味はあるのか。
生きがいも失い、世の中の役にたてない身体で迷惑かけるなら、そんなあたしに世の中のエネルギーを使うなら、いなくなった方がいいのでは、と。


死にたい、と思わせる出来事が重なると
タイミングが重なると
きっと人は自らの命を断つんだ。


死ぬことばかりを考えた日があった。

腕の筋肉を切り取る検査のために10cmのメスを入れる手術がまっていた。

肺に管をいれて、組織をとる検査もまっていた。
かなり苦しいです。癌が見つかる可能性もあります。
と言われていた。

皮膚にぶすぶすと針を刺す検査は誤診により、意味のない検査になってしまったり、、、
情報が錯そうしていたり、、、

淡々とした説明。

主治医に泣きながら訴えた。

せめて不安をとりのぞいてほしいと。

医者といっても人は人。

病気を治せるのは技術と知識だけではない。

「おもいやり」

畳み掛けるようにようにわいてくる不信感

命を任せられる主治医ではなかった。


あたしはただのクレーマーか、
いや、この人をあたしは
信頼できていない。
死ぬ前に言いたいことは言ってやろう。


そんなこんなで、家族、主治医と他二名の医師、看護士との話し合いの結果、

父親も絶句。
言葉づかい、言葉のチョイス、ため息の出るような対応だった。

ここの病院じゃだめだ。
という結論に。

「おもいやり」が欠けていた病院から
家族が手配してくれた別の病院へ移った。


それにしても、
最後の最後まで、、、、、最悪な医者だった。

2月13日

あたしが死のうとした日


少しのタイミングで人生はかわる

家族の支え
友達からの励まし
仲間の力
舞台の成功の知らせ

あの日、死ななくてよかった。

大切なものが何か、、、実感した。


新しい病院では、
「もう検査はいままでので十分です」と
すぐに治療にはいってくれた。

今まで
採血
皮膚生検手術
筋電図
レントゲン、CT、MRI
胃内視鏡カメラ
皮膚のただれの所見

これで十分だったらしい、、、

腕も切り刻まれずに、肺の検査もなし。

治療方針から最悪のケースの話、何故ならばこうだから、、これからのこと、、、
とわかりやすく丁寧に説明してくれた。
安心してまかせられる。という喜び。
時間はかかるけど、必ずお仕事復帰できますよ、という「希望」も添えてくれた。

病院でこんなにもちがうものか、と思った。


治療がはじまり
激痛はやわらぎ、他臓器の検査も進めながら、副作用の体調不安定はあるものの、栄養士さんによる計算されためちゃめちゃおいしい病院食と、5日に1回の採血でしっかり管理され、病室も快適で、、、精神的な落ち着きを取り戻せたことが一番おおきかった。


原因もわからない病気
だけど
ショックを感じる極度のストレスが原因という説がある。

今思うと、、、あれだ。
という出来事が去年の春、おきていた

そこからの

体重減
脱毛
生理不正出血
関節痛
発熱

9月嘔吐 歯肉炎 頭痛
10月皮膚のただれ 口内炎
11月呼吸困難 倦怠感
12月全身激痛 筋力低下

どれもこれも治らず、、、
何軒の病院にかかったか、、

12月には人間ドックもいっていた。
結果は異状なし、、、
おかしいだろ、、、

1月も1日から山積みの仕事におわれながら、悲鳴をあげながら過ごしていた。

仕事の合間に
病院をはしご

痛くて上手くにぎれない車のハンドルは、イボイボつきの軍手で補助していた

症状が多すぎて
思い当たる病院にいきまくった。

どこの何科にいけばいいのかすらわからず、、、
大きな病院の入り口で、、いつも涙がとまらなかった。

1/21
症状の経過、職業、日常生活、など
カルテが真っ黒に埋まるほど事情聴取のように細かく事態を把握してくれた内科の医師に出逢えた。
そして
はじめて「膠原病」を疑ってくれた。
皮膚科と連携をとり、熱心に対応してくれた。

「今日、入院できますか?」と言われたけど
1/26には本番があることを伝えると

検査入院なのでお仕事のめどがつくタイミングでしっかり調べましょう
と言ってくれた。

今思うと、よくあの状態でステージにたったものだ。

1/26 4BEATZ @渋谷0-east
約30分のSHOW
周りの仲間が構成も配慮してくれて、踊ってる風にみえるステージにはなったみたいだった。

腕や足首が、ちぎれてとんでいく気がしていた。
それをおさえなきゃ、、
バカになってる脳みそで、そのことばかりを考えてた。

くるったようにテーピングをぐるぐる巻いてる記憶と、あまりの痛み、苦しさにステージで吐き出した自分の悲鳴以外、あまり記憶にない。

さぞ、無様なショーだっただろう。

生きてた。

踊りおわって、そんな風に思ったのははじめてだった。
プロとしては当然、失格の舞台だった。


1/28
検査入院

2/9
専門病院に転院
最悪な主治医
激痛と絶望と恐怖

2/16
転院

2/18
治療開始

地獄まで、旅をした。

そんな感じでした。

治らない病気

だから、またいつ地獄へ旅するかわからない。

その不安は一生続く


でも病気が沢山のことをきづかせてくれた。
この時間は、すごく必要な時間だった。


あれ?あたしはすでに、、、もってるぞ。
すでに、満たされている。
やりがいのある仕事、認められているもの、楽しい時間、大切な人達、生活

もっと、、、報われたい?と思っていたものは、、、
満たされないものでブクブク太るより、今あるものであたしは十分幸せだ。


この地獄を、試練を乗り越えたおかげで、
たくさんの「無駄」が見えて
やっとどっかりと腰が据わった感じ、というか
冷静沈着にいろんなことを考えられた。
「余裕」ができた。

今までの自分が、ちょっとチープだった気がしてます。


忙しくてできなかった自分の事がたくさんあるなぁ、と
ゆっくり療養しながらも
充実した入院生活を送ることが出来た。

そしてその間の、地震。
地震でさらにいろんな事を考えさせられた。

人の強さも弱さも紙一重

タイミング、、、「今」なのだ。

今辛い
今苦しい
今助けて

という人の苦しみが、、
とにかく他人ごとじゃなかった。

「今」じゃなくてもいいエネルギーが
「今」必要なエネルギーになりますように

それだけを切に願います。


今日から自宅療養

まだ大量の薬を飲んでいる。
退院していい量ではない。と念をおされた。

油断すればまた振り出しに戻る。

病気の不安は消えない。

もっと苦しい状況になるかもしれない覚悟もしつつ

もう少しのんびりスローライフを楽しみます^^
最低限の中で楽しむアイディアは湧いてくる

それがあたしのいいところ

そして、自分でも驚くほどクリアに
「これから」が見えて、
お!!なるほど~、と、楽しみだったりしてます。

病気が
上手に人生を生きていく方法を教えてくれた。
「大切なもの」は何か、教えてくれた。
そんな感じです。


そしてそれが、今とこれからの日本の力になりますように

支えられてる全てに感謝

それだけは絶対に忘れない。


ありがとう。


お世話になった病室

IMG_8623.jpg

せめてものオシャレ。お気に入りスリッパ。
越~し~のケイト・モス。

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